「保養の家」この間の利用者のおたよりやノートの言葉です!
私たちが2012年に「宿泊可能な家の提供」という家族保養の取り組みを始めて、今年で5回目の夏を迎えました。今年は例年にまして希望者が多く7月14日から8月30日の間に9家族(グループ)の利用がありました。
被災地での生活は5年半経っても心穏やかでないこと、放射能汚染の恐怖が全く治まっていないことが伝わってきます。また広域避難・母子避難が続かず被災地に戻った人、事故後子どもの健康不安が増した人、高齢者家族の問題など新たな課題があがり、年月が経ったことで問題がさらに複雑化しています。
しかし、復興庁は昨年7月10日、[子ども被災者支援法]の基本方針改定案で「避難指示区域以外の放射線量は大幅に低減した。避難する状況にはない」と、住宅提供打ち切りの帰還強要策を打ち出しました。帰還者には引っ越し費用を、帰還説明会に参加する人には里帰り費用を、というわずかな支援策をつけて帰還を迫っています。住宅支援がなくなれば多くの避難者が住まいを失い、次の生活ができなくなるのに。
また、政府は来年2017年3月までに居住制限区域(年間被ばく線量20mSv超50mSv以下)の避難指示解除をめざしています。6月12日に葛尾村、14日には川内村、7月12日に南相馬市が避難指示解除されました。除染ごみ(フレコンバック)の積み上げられた場所に戻る人は少ないにもかかわらず、8月31日には帰還困難区域(放射線量が年間50mSvを超え、原則立ち入り制限がされている区域)まで一部を「復興拠点」として『除染?』し2022年を目処に避難指示解除する方針を発表。
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