復興庁公表の福島県からの避難者数は、2020年4月で38,097人(県外30211人 県内7886人)となっています。震災1年後の2012年5月の160,059人(県外62,038人、県内98,021人)から大幅に減っています。全避難者数は4分の1に、県外避難者は2分の1に、県内避難者は12分の1になりました。しかし、公表された避難者数は、実数よりかなり少ないと考えます。以下、その理由です。
福島県は2012年末に、「総合計画の最終年度2020年度に『県内・県外避難者数0(ゼロ)人』」を目標としました。これに向け避難指示区域は、緊急時放射線量の年20mSv以下を基準に解除を進め、事故後の11市町村から7市町村に減らし、今年3月には原発立地の双葉町や大熊町の一部まで解除しました。被ばくの危険性が高いままでの帰還政策であり、当然帰還の動きは弱く、今なお避難指示区域外からの避難を続ける人も多くいます。
復興庁は、地元に戻る意思がなければ避難者とは認めていません。また、福島県内避難者数が極端に減少しているのは、福島県が、避難先で住居を購入した人や自費で賃貸住居を借りる人は「安定した住まいを確保した」と判断し、住宅無償を受ける人、親族知人宅に身を寄せる人だけを避難者とみなしているからです。結局、故郷を奪われ、県内外に避難している人の正確な数はわかりません。避難者数をできるだけ少なくしたいのは、補償を打ち切るという目的もあります。
2017年3月の避難指示区域外避難者無償住宅支援の打ち切りは、全国で大きく問題になりました。避難指示区域外の避難者は住宅補償以外の支援はほとんど受けられず、特に福島県以外からの原発事故避難者については、それ以前から、災害救助法による住宅支援2年の制限や避難元からの要請が切れる度に、住宅支援を打ち切られてきました。
2017年3月に住宅補償が打ち切られて1ヶ月後の5月、2人の子どもと関東地方に避難していた母親が自ら命を絶たれました。6月には、避難先の新潟県に家族を置いて、父親が仕事のある福島に戻った直後、長男が自死。8月には避難先住居を退去させられ、南相馬市の洞窟で暮らしていた男性が警察に保護され、衰弱と脱水症状で救急搬送されました。(青木美希朝日新聞記者の取材記事より)
東京の国家公務員住宅の家賃が払えず、転居もできない区域外避難者に対し、福島県は、2019年3月までの退去を求め、それができない場合は「家賃の2倍相当額」の支払を要求、払わなければ「追い出し訴訟」をすると議会で決定しました。
住宅の確保は人が生きるための基本であり、行政はそれを守るべき立場にあるはずです。避難するかしないかの決定権は被災者にあるのです。しかし現実は、加害者側が被災者の実態を無視し、避難者の追い出し訴訟まで起こしています。 山形県旧雇用促進住宅避難者追い出し訴訟については、2020年3月に和解が成立しましたが、東京の国家公務員住宅については、まだ係争中です。
放射線量が高い帰還困難区域は福島県7市町村に計約340㎢あります。国はこのうち約1割を「特定復興再生拠点区域」と定め、除染して2~3年後の避難指示解除を目指しています。「再生拠点区域」では、環境省が国費で家屋を解体し、震災で半壊と認定された家屋は「やむを得ず解体した世帯」に見なし、全壊家屋と同じ最大300万円の生活再建支援金を支払うとしています。一方「再生拠点区域」にならなかった帰還困難区域では除染が行われていないため、「半壊」への生活再建支援金は支払われません。家屋解体の目途すら立っていません。国は、同じ帰還困難区域の中にまで、補償の格差をつけて、住民間に新たな分断を生みだしているのです。
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