200人超える参加者!講演・報告・アピールに集中して熱気あふれる!
原発事故被害者救済の闘いと反原発を実質的に結び付ける集会になった
この集会は、東電福島原発事故で関西に避難した避難者や支援団体等が、「原発事故の被害者救済と『子ども被災者支援法』の理念実現をめざす全国行動」の一環として大阪で開催したものです。集会の実行委員会は、避難者や生協、保養活動の会、反原発団体等で構成され、この集会を機に連携を深めることができ、今後協力して運動を広げていくための足がかりになりました。
集会冒頭に、実行委員会を代表してコープ自然派の坂本真有美さんが「食の安全の視点から脱原発に関わり、3・11の地震は東京で国に六ヶ所村再処理工場本格稼働反対署名を提出した直後だった。コープ自然派として原発事故に直ぐに対処できたのはそれ以前からの取りくみがあったからである。関西には地道で多彩な活動がたくさんある。今日は、原発事故被災者支援の全国運動に関西で広がる市民活動が主体的に関わる大きな意味を持つ日にしたい」と意気込みを語りました。
前半は(特別報告)尾松亮さん、(現状報告)満田夏花さん、瀬戸大作さん、除本理史さんによる報告、後半は関西への避難者によるパネルディスカッションという盛りだくさんな内容でした。
◆第一部 特別講演と報告
尾松亮さん(ロシア社会制度研究者。2012年政府の「支援法制定に向けたワーキングチーム」に参加)は「チェルノブイリ法~原発事故5年後の約束~」という表題の特別報告をされました。自身が埼玉県で被ばくしながら、納得行かないままの日常生活を強いられたとき、チェルノブイリ法にその思いが的確な言葉で示されていることが確認でき、これまでチェルノブイリ法を広めることに専念してきたそうです。
まず、チェルノブイリ法とは何か。「ウクライナの大人が事故による追加被曝量の実効量当量が1ミリシーベルト/年、70ミリシーベルト/生涯を越えないことを1986年生まれの子どもに約束したものである」「被災地はどこか、被災者は誰か、被災者に何を補償するのかを明らかにした法律である」「それによってウクライナ、ベラルーシ、ロシアの広範な大地が汚染地域に指定された」「事故直後に退避が命じられた地域に加え、土壌セシウム濃度により3段階に分けられた汚染区分が指定され、移住の権利が認められた」「移住か居住継続を選択するのは被災者自身であり、そのどちらを選んでも生活が国に補償される。家族で話し合う前提になる」「移住者には喪失財産だけでなく雇用保障、就職支援、保養、住環境改善などの補償が得られる」「汚染地域に居住するリスクに対しても支給金や追加有給休暇、90日間の産前休暇、保養、早期の年金支給、食料品供給などが補償される」。
尾松さんは「この法律ができるまでの5年間住民は無権理状態のまま大量の放射線を浴び、汚染マップが公開されたのは事故から3年も経っていた。大国が見捨てた人たちをウクライナ、ベラルーシ、ロシアという地域が守ることで成立した法律だった」「事故収束に当たった労働者の力、被災地を代表する議員、被災者代表議員の力を結集したものだった」と語られました。
そして、「日本では、被災者証明書が差別を生むといわれるが、チェルノブイリの場合無権理状態の時期に差別は確かにあったが、被災者証明が差別に繋がることは無い。日本の『子ども被災者支援法』は避難の権利をはっきりと認め、憲法22条の居住の自由にも繋がる内容である。この条文を空文句にしないために取り組んでいこう」と結ばれました。
満田夏花さん(FoE Japan理事。3・11以降年20mSv基準撤回、避難の権利確立の運動に従事)は原発事故による避難者の推移、避難指示区域の解除に伴う住民の意識などの統計を元に、「避難者の減少は避難者自身の判断ではなく、強制的な帰還であり、避難者たちは追い詰められていることがわかる」と現状報告をされました。「福島県各地の土壌汚染自主調査を見ると未だ高レベルにあり、避難指示が解除されても被ばくの不安から逃れられない」「福島県は『2020年までに避難者ゼロ』を目指して復興を宣伝し『被ばく影響』をタブー視している」「自主的避難者の住宅支援打ち切りに対する多くの批判に対し、公営住宅への入居円滑化などを示すが要件が厳しく、落ちこぼれる避難者が多い」「社会全体での支えが必要であり、住宅支援継続を求める意見書・請願を採択したいくつかの自治体に続き、地域から声を上げていくことが求められる」と話されました。
瀬戸大作さん(「避難の権利協同センター」事務局長、パルシステム生活協同組合連合会地域支援本部長)は、福島県からの自主避難者住宅支援打ち切り通告に基づき、東京都が公営住宅退去通告を本格化するのに伴い、「孤立化する避難者」の状況に気付いたそうです。「東京都中野白鷺団地の説明会は避難者1人に対し4人の職員が取り囲み退去や160倍の都営団地受付締切りが近いと迫るもので、説明会後体調を崩し、入院した母親もいる」「以前から貧困問題に取り組んできたが、原発事故避難者の孤独にはなかなか気付けなかった」孤立した避難者を掘り起こし、住宅支援の継続を勝ち取るために「避難の協同センター」(7月12日)設立を呼びかけられました。
除本理史さん(大阪市立大学大学院経営学研究科教授。日本環境会議(JEC)事務局次長)は、「帰還政策の最前線、川内村の調査でも避難を続けざるを得ない住民は少なくない。来年仮設住宅がきられるとどうにもならない高齢者も多い。関西への避難者についても家賃補助継続を6割が希望している。被害に対する適切な賠償を実施すべきである」と語られました。
◆第二部 避難者を交えたパネルディスカッション
第二部のパネルディスカッションでは、関西への避難者の痛切な訴えが続き会場は静まりかえりました。その発言内容を簡単に紹介します。
福島敦子さん(南相馬市から京都府に避難)は「政府も東電も原発事故がなかったことにしようとしている。今の帰還政策はまさに棄民政策だ。公営住宅確保が、福島県内に帰る人だけのものにされている」。森松明希子さん(郡山市から大阪府に避難)は「私のような母子だけの避難は、チェルノブイリ事故後のロシアでは存在せず、家族での避難が保障された。大阪府下への原発事故による避難者は登録している人だけでも1300人を超えている。危険を避けるのは自然なことで、放射線被ばくから逃れ健康を享受する権利が誰にでも平等に与えられるべきである。日本では被ばく問題に正面から向き合ってこなかったのではないかと感じる」。菅野みずえさん(浪江町から兵庫県に避難)「原発事故は一般の災害とは全く違う。突然家や町から一斉に追われることの理不尽さは言いようがない。人間関係もバラバラにされてしまった。今ここに集まったみなさん自身が、私たちのようにならないように、原発そのもののこと、原発が再稼働されていること、海外にまで輸出しようとしている事実を知り向き合って欲しい。他人事ではない暮らしがこの先待っているかもしれないことに気づいてください」。うのさえこさん(福島市から京都府に避難)は「今日の集会の参加者数と熱気で、『諦めなくていいのだ』と感じることができた。私たちにもどこに住んでもいい居住の権利が保障されて当たり前なのだ。避難者を孤立させないことが重要。自分は『全国避難者の会』をつくり、2回の政府交渉を行った。今後も取り組んでいきたい」。
パネラーとして大阪市大の除本さんと上記4人の避難者、ナビゲーターの守田敏也さん(原子力政策に関する研究・批判活動を続けるフリーライター。兵庫県篠山市原子力災害対策検討委員会委員)
で意見交換を行いました。「率先避難者は他を救う。避難者は私たちの生活を守る」などが語られました。会場からの質問には尾松さんや瀬戸さんに答えていただきました。
最後に参加されていた3人の弁護士の方々に会場から発言を頂きました。
井戸弁護士(大津地裁高浜3・4号差し止め仮処分裁判、子ども脱被ばく裁判など)「避難者がこれだけ苦しめられるのは原発推進政策を維持するために、原発事故の被害は大したことないとするしかないからだ。この政策のミソは100mSv安全論にある。これは広島原爆2km(被ばく量100mSv)までを原爆被災地と限定したことに端を発する。日本の常識は国際的非常識。低線量被ばくの危険を日本の常識にしなければならない」中島弁護士(原発事故関西賠償裁判など)「賠償裁判全国連絡会が2月にできた。来年2月3月あたりから判決が出される。関西では京都訴訟が一番早くなる予定。近畿圏は自主避難者が多く、住宅救済運動が急務で近畿各自治体への働きかけをしていきたい」津久井弁護士(兵庫原発賠償裁判など)「これまで自然災害に多く関わってきた。自然災害と違ってふるさとを取り戻せないのが原発災害である。諦めないために『主張が正しいことの確認』『孤立しない、繋がること』『運動を続けること』」と短時間の中でそれぞれ示唆に富んだ話でした。
井戸弁護士のことばに象徴されるように、原発事故被災者を無視することは原発政策推進のためであり、被災者救済の闘いと反原発運動は切り離せないものです。今後もこのつながりを力に取り組みを継続していきましょう。
(集会実行委員会:美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会/子ども達に未来をわたしたい・大阪の会/コープ自然派ピュア大阪/コープ自然派京都/コープ自然派奈良/アジェンダ・プロジェクト/グリーン・アクション/3.11ゆいネット京田辺/生活クラブ京都エル・コープ/菅野みずえ/守田敏也/うのさえこ)
2016年7月21日 子どもたちに未来をわたしたい・大阪の会
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