報告
大阪府が「避難者数を700人も小さく公表したこと」について 7月31日、大阪府へ申し入れをし協議の場を持ちました!
単に「担当者のミス」と説明。大阪府の責任回避の回答に、避難者参加者の抗議が集中しました。
大阪府は、事故直後から市町村に照会もせず。いい加減な避難者数把握を続けていたのです。
ここまで無責任な避難数報告をしたのは、全国の中で大阪府だけです。
大阪府が「東日本震災・原発事故避難者数を700人も少なく復興庁に報告していたこと」について、今年4月・5月分だけを訂正し終わったことにしていました。昨年度から区域外避難者の住宅打ち切り問題に取り組んできた避難者の方々から「数字上自分たちが、避難者としての存在を消されている、何故こんなことになったのか問い糾(ただ)したい」という怒りの声が上がり、7月11日に大阪避難者の会等3団体で要望書を提出しました。要望事項は「1大阪府への避難者数793人が88人になった経緯詳細を明らかにすること、2大阪府として知事からの謝罪、3「『東日本大震災・原発事故避難者』についての大阪府の考え方を明らかにすると共に、避難者の直接面談の場を設け具体的な支援策を」の3点です。
7月31日に大阪府危機管理室と応接。大阪府側は危機管理室防災企画課と災害対策課、市民側は15名(避難者6名、支援者9名)集まり、約1時間半話し合いました。
大阪府の回答は、「1.担当者間での引き継ぎが不十分で事務処理ミスが重なった、2.復興庁と相談し、市町村照会をして4月5月分の訂正をホームページに公表し報道提供した、3.避難者支援はできる限りする」というものでした。
市民側は、大阪府が復興庁に報告した2011年8月から2017年6月までの避難者数を一覧表にして示し「最近のミスではなく、2012年度にも1か月で合計200人もの増減があったり、親族知人関係在住の欄で1年間も同じ数字が連続したり、185人が突然0(ゼロ)になっていること」について問い、「このような不自然な数字の変動を続けてきたのが大阪府だけである。あまりにも無責任だ」と追及しました。府側は「余り数字の変動がないので、市町村照会はたまにするだけになったこと、2013年10月以降は、市町村に照会せず、担当がすぐに確認できる府内公営住宅、URなどに住む人数をカウントしてきたこと、2016年4月に担当が変わり、185名の確認ができないので0にしたこと」などを悪びれる風もなく回答。避難者の方が、「数字は一人一人の避難者であるという認識はあるのか、数があっての施策ではないのか、親族知人欄を0(ゼロ)にしているが、親族知人に頼ってきた避難者に支援は必要ないと考えているのか、避難者は自治体にしか頼るところがないのだ」と必死に訴え、府側は事の重大性を知り少し緊張感が出てきました。また「避難元からの情報がきちんと届くようにと作られた避難者情報システムでは、大阪への避難者数が1230人であることを危機管理室も確認しているのに、なぜこれを利用しないのか」「市町村照会をしないで済ませたのはなぜか」「復興庁からどういう指示があったのか」「このような不自然な数字に対し、危機管理室の内部で何も問題にならなかったのか」「知事はこの事実を知っているのか」等々避難者・支援者から次々と疑問が出され、要望事項1についてのやり取りで時間切れになってしまいました。「回答できなかった点については、改めて回答します」という返答を得て、応接を終了しました。
応接後、質問事項を整理し「7項目の追加質問」を送りました。これについて8月22日に文書回答がありましたが、納得できる説明ではありません。今後も質問と追及をできる限り続けること、避難者支援策の継続と拡充を要請すること、また避難者の声を原子力防災計画に活かすよう求めることが必要です。
(初めの「要望と府の回答」は大阪府のHP「団体広聴一覧」www.pref.osaka.lg.jp/koho/29-dantaiall/index.htmlに掲載)
私達の会の「保養の家」今7~8月の利用者は8家族になります。
うち福島県内より5家族、関東から3家族でした。
「子どもが中学生になると日程が合わず保養に出にくくなった」
「子どもの進学を契機に子どもだけでも関西にと、今回は数校大学見学をしに来ました」
という声が複数聞かれました。
7月26日「田辺の模擬原爆追悼集会」に今年も山科和子さんと参加しました!
全国で模擬原爆が投下された地域は約50カ所。大阪市東住吉区田辺でも1945年7月に投下され犠牲者が出ました。全国で空爆を繰り返す中、アメリカは原爆投下の練習をしたのです。私たちの会の保養の家の持ち主・山科和子さんは、長崎原爆被爆者であり、ずっと語り部として活動されてきた方です。
現在94歳、家の近くに「田辺の模擬爆弾の追悼碑」があり毎年追悼集会に参加しアピールされています。今年は「国は原爆投下の事実を隠しゆがめてきた。戦後私は、国から子どもを産むなと言われた。憲法で保障された権利まで奪われてきた。」と強い怒りの言葉を述べられ、私たちも参加者も胸を打たれました。
今年も大阪市内の10校以上の小学生中学生が参加して慰霊碑前の路地をいっぱいにし「模擬原爆のこと」「平和修学旅行で学んだこと」などを真剣に発言し、大きな拍手を受けました。 (「詳細説明・報告」は、別に作っています。)
こんなことも起こっています。
子ども達に「原発事故と放射能被害の事実を教えるな。教科書に載せるな。」という圧力です。
「北海道新聞8月23日号」より
教科書「脱原発」から「両論併記」へ ー 原子力学会、要求強める
今年4月に使用が始まった高校現代社会の教科書には、原発について異なる見解が記されている。教科書会社の編集者は「賛否が分かれるテーマでは原則両論併記をという文部科学省の検定基準に沿った表記にしている」と説明する。日本原子力学会は7月、高校教科書37点の記述に関し「原子力の短所だけではなく長所も記載を」「『核のゴミ』という表現は汚いものと思わせる」などと指摘する提言書を文科省に提出し、各教科書会社にも発送した。同学会フェローの工藤和彦・九州大名誉教授は「子供たちに多様な見方を提供するために、適切な表現にしていただきたいということ」と話す。同学会が教科書に対する提言を始めたのは1996年。一方でこうした活動は「世論誘導だ」との批判もあり、14年に学会がまとめた福島第1原発事故についての最終報告書では「特定組織の利害のための活動はしてはいけない」とした。だが、その言葉とは裏腹に原発事故以前は15年間に6回だった提言は、事故翌年の12年以降は5回とむしろ増加。15年からは政府のエネルギー基本計画を教科書に明記するよう求めている。
北海道新聞社が各教科書会社に、学会の指摘を受けて記述内容を変更したことがあるか尋ねたところ「指摘を受けて即変更はしない」「個別の変更理由は明かせない」などと回答。一方で「著者と相談して検討する」「明らかな誤りは訂正する」との声も多かった。北電泊原発に近い後志管内の中学校教諭(46)は「こうした学会の動きは圧力に感じる。校内には原発の話題を避ける雰囲気があるのに、ますます取り上げにくくなる」と漏らした。 東京電力福島第1原発事故から6年以上が経過し、中学、高校教科書の脱原発に関する記述が、原発推進の意見も取り入れた「両論併記」に変わりつつある。政府が2014年に原発を「重要なベースロード電源」と位置付けたエネルギー基本計画が影響しているとみられ、原発関連企業や学者でつくる日本原子力学会は各教科書会社に対し、脱原発の記述を改めるよう要求活動を強めている。
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